ブラック企業へ復讐した話です。といっても自営業に毛が生えた程度の零細ですが…。その会社に入った時のことです。当時の私は、事業所の閉鎖に伴う整理解雇で無職になりました。求人活動の開始は、ハ○ーワークや求人サイトからです。


偶然、私の趣味に関する物で商売する会社を発見。そこに面接に行って、見事採用されました。前職で少しWEBサイトを作ったりグラフィックやったりしていた関係でそっちをやってもらいたいと言われました。それと、私の元々の仕事でした商品管理とかも。

そして初出勤。

行ってすぐ、空気が悪い会社な事が分かりました。悪いっていうか淀んでるような…。混沌としているような…。朝礼で社長から紹介された訳ですが…。

ワンマン社長と、従順な社員と、そうでなさそうな人で構成された会社です。初日から定時でタイムカードを押して全員でサービス残業ですから。もう意味が分かりません。

私はWEB・商品管理担当の人(以降Aさん)から、仕事を教えてもらうよう指示されます。でも、どう考えても仕事量からして一人でできそうな内容。もちろん雑務が途中で入るから、一人ではきついのかな?事業拡大を狙っているのかな?そう考えていたんです。

しかし、Aさんと、Aさんと仲が良いBさん(主に商品メンテ係)の話を聞くと違いました。社長(と取り巻き)がいないときにAさんから小さな声で囁きました。「メアド教えてください」メモ用紙に、無言で書きなぐってAさんに手渡しました。

その後、Aさん、Bさんとファミレスで落ち合う約束を交わします。そして、2人から会社の内情を教わりました。たんたんと話すお二人の内容から、薄々わかっていたブラック臭が確信へと変わりました。

Aさんは都会の大手企業から家庭事情でUターン。当時は有望と思われたから会社だったそうです。入ってから「普通の会社」ではなく、法規無視な会社であることを知ったそうです。法律を守らない会社が存在することすら知らなかった模様。

Bさんも地元にある大手企業子会社を辞職して入社したそうですが、Aさんと同じ境遇。私は前職を辞めさせられた体験から、黒い会社の手口は熟知していること、それに対して対抗する手法があることを教えました。この会社は正直、社長の考えが甘すぎです。

法人格であるにもかかわらず社会保険・厚生年金すらありませんでした。まさかそんな会社が会社として存在できるとは!ブラックに解雇された私すら知りませんでした。

だから面接で確認することもなかったし、入社して保険関係の手続きをしようと思ってはじめてわかったことでした。それと、サービス残業の半強制。私はこのあたりから手を付けようかと考えました。

数日すると、社長の魂胆も見えてきました。経営方針やら財務状況まで、大手企業でバリバリやってきたAさん。彼に正論を言われてワンマンな社長はまともに言い返すことができません。

しかし見過ごすこともできないため、Aさんを辞めさせるつもりなんです。その代わりが私という訳です。そして、それはAさんが所用で連休をとった後に起こりました。Aさんが連休後に出社したときです。
「えー!私の机がない!」

実は前日。社長の鶴の一声で社員総出で職場の配置換えをすることになりました。Aさんの机を表の廃棄物置き場に出してしまっていたんです。

もちろん私もBさんも嬉々としてその作業に加わっていました。「これで作戦開始!」

AさんとBさん、私の3人で話し合って、こうなることは予見済みでした。Aさんをクビにするタイミングを見計らって動こう。シナリオは私が書きます…といった具合。デスクが無くなったAさんは社長に詰め寄り、社長はよくわからないいい加減な理由でAさんを解雇。言質を取ったAさんは会社を退職。
その後は各役所やハ○ーワークなどを、Aさんに回ってまわってもらい、私のシナリオ通りに各種申請や手続きを実行してもらいました。もちろん内容証明での通告も怠り無くです。

この内容証明郵便に対しても社長の認識は甘く、事務の娘に代筆させて内容証明で返答をさせていたぐらい。もちろん切手代の無駄遣いになったのは言うまでもありません。社長からの内容証明は逆に良質な証拠として作用しますし。

結果、サービス残業代・有給買い取り・ハ○ーワーク求人に出せない社保厚年の遡り支払(国保の本人が支払った分は還付される)などで、結構な金額の支払い&リスクを負ったようです。社保厚年の本人負担分は、さすがにバツが悪かったらしくAさんにも請求はなかったといいます。
こうなるとほかの社員は?となるのが当たり前で、雪崩式に崩れていきました。以後この会社ではサービス残業はなくなり、有給的なことまで社長は言い出すことに。所定労働時間外の認識も出てきたようです。ただ社○事務所は被保険者確認請求した本人にしか恩恵は与えなかったようです。

これ以降は私も退職したので詳細は知りません。その後、Aさん、Bさんともに再就職が決まり、私も上場企業に入ったことを最後に報告しておきます。