私が大学に入ってしばらくした頃…これまでバイトをやったことがなかった私は、人生経験のためにバイトを始めました。

私:都内大学生(18)
山田菜美:都内大学生(18)
吉村和夫:フリーター(27)


そのバイト先の先輩に吉村という男がいました。小太りで、服や髪は秋葉系の人。無口で冗談などはほとんど言わず、自分の興味のあることだけを延々と話すような人でかなりとっつきにくい人でした。

私とシフトが重なったとき、吉村はよく彼女の話をしていました。

「もうすぐ私、結婚するんだよ。彼女、ストレートの黒髪で、すごくかわいい子なんだ」

吉村はそんな話を延々と続けます。

一応バイトの先輩だし、他にこの人と盛り上がれそうな話題もなかったので私はいつも聞き役に徹し、適当に相槌打ったりして時間が過ぎるのを待つ毎日。

ある日、バイト先近くのファミレスで友達と待ち合わせをした時です。
ファミレスに入って店内を見渡してみたけど、まだ友達は来ていませんでした。

しかし、ファミレスの一番奥の席には吉村がいました。
こちらからでは後姿しか見えませんが、吉村の前には女性が座っており、二人で話し込んでいるようです。

正直、彼のプライベートに踏み込む気は全くなかったんですが、ガラ空きの店内でバイト先の先輩がいるのに挨拶しないのも不自然だと思って、声を掛けました。

私「こんにちは。吉村さん。今日はデートですか?」
吉村「ああ。今ちょっと彼女と難しい話してるんだよ」

吉村は素っ気無くぶっきらぼうに答えます。 しかし、私の声に反応して振り返った女性は、涙を流しながら首を振りました。

「違うんです。付き合ってないんです」

私「え?…」

私がしばらく固まってたら「お願いです。助けて下さい」と女性から泣きながらお願いされました。
それが菜美との初めての出会いでした。

「おい、あんちゃん。おまえこいつの友達か?」

呆然としてる私に、吉村たちの隣に座ってた男が話掛けて来ます。
隣に座ってたのは、二人とも30代半ばぐらいの男性。
ガラの悪いシャツにパンチパーマ、オールバックといったファッションで どう見ても健全な商売の人間には見えません。

つまり、吉村は彼女と二人だけではなく、その横のテーブルに座る柄の悪い二人組とも一緒だったんですね。

手前側に座ってた男は立ち上がると

「あんちゃん、悪いことは言わねえよ。そんなに仲良くないなら、こいつらとは関わらない方がいいよ」

そう言って、私の肩をポンと叩きました。

肝心の吉村は無言。でも菜美の方は、涙をポロポロ流しながら「目から助けて光線」を私に発しています。

私「あの、とりあえずトイレ行って来ますね」

そう言って、私はトイレに向いました。


トイレで状況を整理して考えてみました。
どう考えても、菜美が泣いているところからすると、何らかの理由で彼らは2人組に脅されているのは明白な気がします。

私はトイレの大きい方に入って、小声で警察に電話。
友達が脅されてるから来て欲しいと伝えました。
電話を掛け終えた後、数分トイレで待機してから吉村たちの方へ向かいました。
もちろん時間稼ぎのためです。

ぶっちゃけ、絡まれてるのを見捨ててバイト先での人間関係を悪くしたくないという打算もありましたが…もうすぐ警察も来るし「しばらく我慢すればいいだけだ」と自分に言い聞かせました。

なんとか勇気を奮い起こし座席に戻ります。

私「あの、私も話聞きます」
二人組「いや、こっちはそれでもいいけどさ。あんた、ホントにいいの?こいつらの借金の話してるんだよ?」
私「え?借金?この二人のですか?」
菜美「違うんです。お願いです。助けてください」

菜美は涙で化粧は落ちてまくりで、脂汗タラタラで顔は真っ青。
二人組は借金だと言い、菜美は違うと言っています。

とりあえず私は菜美の言葉を信じて、吉村側の席に座りました。
座ってから、私は一言もしゃべらず吉村と菜美の話を聞いてるだけでした。
話を聞く限りでは、どうも吉村は、菜美に風俗で働くようお願いしてるようです。

もちろん菜美は「無理です」とか「お願いです。もう帰してください」とか、涙を流しながら平身低頭な懇願を繰り返します。

私が席についてから5分もしないうちに警官が無事到着。
私たちは全員警察署に連れて行かれました。

二人組は「私たち何もしてねえよ?何でだよ?」と抵抗しましたが、警察は問答無用。
警察署で事情聴取を受けて取り調べ用の部屋を出ると別の部屋から菜美が出てきて、私に話しかけてきました。

菜美「ありがとうございました。助かりました。ぜひお礼をさせてください。連絡先教えてもらえませんか」

私から携帯の番号を聞くと、菜美はまた部屋へと戻って行きました。
別にお礼なんかいらなかったけど、それぞれ話が食い違ってた理由と「付き合ってない」と言った意味が知りたくて番号を教えました。

その日の夜、菜美から電話が。
お礼の品物を渡したいので自宅を教えてほしいと言われました。
私は、お礼はいらないと言い、代わりに少し話がしたいから喫茶店で会わないかと提案。

菜美は承諾してくれ、私の最寄り駅近くの喫茶店まで出てくるとのこと。
でも、待ち合わせ時間が夜になるし、今日のこともあるので、菜美の自宅から遠いところでは危ないと思い、菜美の最寄り駅の一つ隣の駅の近くの喫茶店で会うことになりました。

喫茶店で見た菜美は前日の泣き崩れた彼女とは別人のようで、吉村がよく話してるように、きれいな黒髪のストレートがよく似合う、清楚な雰囲気の美人でした。


喫茶店で落ち合って、自己紹介を一通り終えその後、お礼と謙遜を言い合ったりとか菓子折りを渡そうとするので「結構です」と押し返したり…そんなお決まりの社交辞令の後、菜美から昨日の顛末を聞きました。

驚いたことに、菜美は吉村は本当に知り合いでも何でもないと言います。
菜美が言うには、事件のあった日、路上で吉村に唐突に「借金のことで話がある」と話しかけられたらしいです。

実は菜美の家は母子家庭で、あまり裕福ではないそうで、自分の大学進学のために母が作った借金の話なのかと思って、吉村の誘いに乗ってファミレスについていったとのこと。そこで吉村を含めた三人に囲まれてしまったらしいです。

二人組は「ここで待ってるからよ。二人で話をつけろや」と言い、菜美たちの横のテーブルに陣取ったようです。

そこで初めて「吉村が抱えている借金」の話が出てきたんだそうです。
実は、吉村は街金から借金しており返済資金に困っているので返済に力を貸して欲しいと、泣きながらお願いされたとのことでした。

力を貸すってのは、つまり風俗で働くことを指します。
理不尽な話なので最初は「何で私が…」とか「関係ありませんから」などと反論して席を立って帰ろうとしたようです。

しかし二人組から「話のケリもつけずに帰ろうってのか?なめてんのか?てめえは?」と凄まれたりしたので、怖くて帰ることが出来なくなってしまったらしいです。

あまりに意外なストーリーを私は呆然と聞いていました。
その時点では突拍子過ぎて、私は菜美の話をあまり信じていませんでした。

見ず知らずの女に「自分の借金返済のために風俗で働いてくれ」と頼むやつなんて、現実にいるわけないだろ、と思ったのです。

私「山田さん、もしかして○○駅近くの○○と××駅近くの△△でバイトしてるんじゃないの?」
菜美「え?……何でご存知なんですか?」
私「吉村さんから聞いてるからだけど。山田さんは見ず知らずだって言ってるけど、どうして吉村さんは、そのこと知ってるのかな?それから、もしかして自宅近くにファミマあるんじゃない?吉村さん、よくそこで山田さんが何買ったとか話してたよ。本当に、見ず知らずの人なの?吉村さん、山田さんとの結婚考えてるって言ってたよ。トラブルに巻き込まれたくない気持ちはよく分かるけど、でも、見ず知らずの他人なんて言い方したら、吉村さん可哀想だよ」

菜美はきっと、トラブルから逃げたくて、吉村と赤の他人のふりしてるんだろうな…そう考えた私は、菜美の態度に若干の不快感を感じて、つい意地悪なことを言ってしまいました。

しかし菜美は、この話を聞いてガタガタ震え出し、泣き出してしまいました。

涙も拭きもせずに、うつむいたまま脂汗流しており、顔は真っ青。
とても演技とは思えません。

私「まさか…本当に見ず知らずの他人なの?」

菜美は声も出さず、真っ青な顔をして何度も頷くだけ。
その顔は、いつの間にか初めて会ったときのようなグシャグシャの泣き顔でした。


あまりにも取り乱したので、この話は中止して、私は菜美を励まして少し落ち着かせようとしました。
菜美はまだ東京に来たばかりで、頼れる友達もいないのにこんな事件に巻き込まれ、どうしたらいいか分からないと泣くばかりでした。

「私でよければ、出来ることならするよ」
「力になるから」
「大丈夫。少しは頼りにしてよ」

私はそう言いながら菜美を励ましました。

そんなわけで、私は成り行き上、菜美とよく連絡をとるようになりました。
内心では「街金かぁ…困ったなぁ」と思っていましたが、初対面の私に頼らざるを得ないぐらい、菜美はほとほと困っていたようです。

その後すぐ分かったことですが、街金の二人組も吉村も「借金の返済方法について相談しただけ」ということで、すぐに釈放。
数日後、バイトで吉村と一緒になり、早速、吉村に菜美との関係を問いただしました。

私「吉村さん、山田さんとホントに付き合ってるんですか?」
吉村「そうだよ」
私「でも、山田さん、吉村さんと話したこともないって言ってましたよ」
吉村「話さなくても、私たちは心が通じ合ってるんだよ」
私「え…」

私「まだ話したことない人とどうやって仲良くなれるんですかっ」
吉村「それを考えるのは、おまえの仕事だろ」
私「はぁ?」

吉村「おまえ、赤い糸って信じるか?」
私「はあ」
吉村「私と菜美は、一つになるってことが運命で決まってるんだよ」
私「……」

吉村「まだ、おまえには分かんないかもな。お前も運命の人にめぐり合えば、きっと分かるよ。強く引かれ合う力ってのがさ」
私「…………」

私「山田さんとデートって、したことあります?」
吉村「あるよ。いつも帰り道、一緒に歩いてるよ」
私「え?並んで歩いて、手なんか繋いだりするんですか?じゃあ、おしゃべりしなくても十分ラブラブじゃないですか」
吉村「いや、手は繋いでない。まだ少し距離をおいて歩いてるよ。でも、私たちには十分なぐらいの近い距離だよ。その距離なら、私たちは心が深く通じ合うんだよ」
私「……で、どれぐらいの距離で歩いてるんですか?」
吉村「50メートルぐらいまで近づけば通じ合うよ」
私「……………………」

私「そんな大切な人を、どうして風俗に沈めようなんて思うんですか?」
吉村「これは私たちの試練なんだよ。だけど、私たちは二人の力で、必ずこの試練を越えてみせるよ。彼女も辛いだろうけど、私だって辛いんだよ。私たちはこの試練を必ず乗り越える」
私「………………………………」
吉村「私たち二人のことを邪魔するやつらは、必ず私が叩き潰すから。私が、必ず菜美を守るから」

吉村から話を聞くまで半信半疑だったんですが、菜美の言ってることは本当でした。
こんな危険なヤツが実際にいるなんて思ってもみませんでしたから、手が震えるぐらい驚きました。


菜美に守ってやるといってしまった手前、私は有事に備えて飛び出し警棒を購入。
そして、バイト先の店長に事件の顛末を話して、菜美の身の安全のために吉村の両親と話したいから実家の住所を教えて欲しいと頼み込みました。

店長は、吉村のおかしいところに心当たりがあるらしく私の話をすんなり信じてくれて「いやー。予想以上にとんでもねえ男だな」と笑っていました。

しかし、個人情報の提供については、しばらく考えた後、「やはりバイトの個人情報を教えることはできない」と言います。もちろん、私はしつこく食い下りました。

店長「うーん。大変なのは分かるけど、やっぱり個人情報を教えることはできないよ」
私「そこを何とかお願いします。今はそんなことを言ってる場合じゃないんです。全く無関係の罪もない女の子が、犯罪に巻き込まれるかもしれないんですよ」

などと延々と力説。
すると…。

店長「話は変わるけどさ、この事務所の書類整理の仕事を頼むよ。その棚にある履歴書なんかを、整理してファイリングしておいてくれないかな。私はこれから1時間ぐらい出かけるけど、その間にお願いね」

そう言ってくれました。

店長に深くお礼を言って、私は仕事に取り掛かります。
吉村はバイト仲間内でも屈指の働かない男でしたので、ほとんどバイト収入などない筈です。
しかし、書かれている住所は都心の一等地でしかも一人暮らし。

自宅と実家がすぐ近くであるので、菜美のように地理的理由で一人暮らしをしているのではなく、つまり意外にも、吉村は「いいご身分」だったんです。

たぶん、私が店長に話したからだと思いますが、話した後すぐ、吉村はバイトをクビになりました。
実際、ほとんど仕事はしないし、よく休むし、バイト仲間からも嫌われてる男でしたから、クビにする理由はいくらでもあったと思います。

私は、菜美にさっそく入手した吉村の個人情報を伝え、彼の親御さんに話して、もう彼女に近づかないよう警告してもらうことを提案しました。

しかし、菜美は複雑な顔をします。
話が大事になれば、菜美を大学に通わせるために無理をして働いている彼女のお母さんに余分な心配掛けたくないそうです。

菜美は母子家庭育ちであまり裕福ではなく、仕送りが少ないために、生活費は自分のバイトで捻出していました。

また卒業のためには奨学金獲得が必須であるため、大学の勉強で手を抜くわけにもいかず家に帰ってからも勉強をせざるを得ず このため、普通の大学生のように楽しく遊ぶ時間なんてほとんどない生活を送ってきたようです。

ですから、不必要に母親に迷惑をかけたくないという彼女の心情は、痛い程分かります。

そして、色々と話すようになり、菜美はすごくいい子で、とても同じ年とは思えないほど大人で、しっかり芯を持った女性という事がわかりました。私は、そんな彼女に急速に惹かれていきました。

バイト先での調査で吉村が「危なすぎる」ことが分かりましたから、私は可能な限り菜美の送り迎えをするようになりました。

そんなある日、菜美を自宅まで送った後で、一人で夜道を歩いていると目の前に吉村が現れました。

吉村「おまえ、どういうつもりだよ?俺の女に手出すんじゃねえよ?」

考えてなかった訳ではないですが、いきなりの彼の登場に、私は超ビビリました。

そんな彼に、「菜美がお前をを怖がってる」とか「お前が危害を加えられないために送り迎えしている」ことなどを説明。しかし、全く無駄でした。

「私と菜美は心でつながってる」
「菜美はおまえを迷惑がってる」
そう吉村は根拠のない反論し繰り返します。
もう「菜美と私は相思相愛」という妄想を固く信じており、聞く耳を持ってくれません。

話してるうちに「殺すぞこの野郎!」と吉村は私に殴りかかってきました。
しかし、残念ながら私と吉村では体格も全然違うし、吉村はかなり鈍い方でしたから難なく撃退。
私からのみぞおちへの一発で、吉村はうずくまって動かなくなりました。

うずくまる吉村に私が、もう一度、「菜美は吉村を怖がってて、出来れば会いたくないと思ってる」と話しました。

すると「お前がああ、彼女に嘘を吹き込んでるんだろうう!!」と怒鳴りました。
しかし、みぞおちの一撃がかなり効いているらしく
「ウウウウウウウウウウウ」
うずくまってうなり声を上げるだけ。まるで獣みたいに…。

彼の様子に、背筋に冷たいものを感じて、思わず走って逃げてしまいました。
もちろん、菜美にすぐ電話しました。

吉村に会って喧嘩になったことと、何やら物凄い執念だったから、戸締りはしっかりして今日はもう家から出ないようにということ、何かあったら、何時でも構わないからすぐに電話するように…などなど。

菜美からの連絡は、その日の夜に電話ではなくメールでした。
メールには「玄関前で音がしたので、菜美がドアの覗き穴から外を覗いたら、吉村がその穴から部屋の中の様子をうかがってる最中でうっかり目が合ってしまった」とのことでした。

すぐ近くにいると思うと怖くて声が出せないから、電話ではなくメールで連絡したようです。
私は、すぐに警察に連絡するように返信したら、警察に電話なんかしたら、通報する声が吉村に聞かれてしまってそれで逆上されて、とんでもないことになるかもしれないって返信が返ってきました。

私は、警察への通報は私がするということ、すぐ行くから部屋から出るなということをメールで伝えました。

私は、中学生の時に野球で愛用していた金属バットをバットケースに入れ、そのまま菜美の家に向かいました。

その日、私は菜美の部屋に初めて入れてもらいました。
彼女の話では、警察は私が着くより前に見回りに来てくれたらしく、しかし周囲をざっと見回った後は、菜美の部屋のベルを鳴らして彼女の無事を確認したらすぐ帰ってしまったようです。


翌日、菜美は朝早くに出発する予定だったので私が寝ないで見張ってるから、とりあえず菜美は寝るように言いました。

もちろん、その時点では彼女に対して並々ならぬ好意を抱えている私ですから、すやすやと寝る彼女を見てさすがにムラムラしましたが、最後の一歩を踏み出すことはしませんでした。


3日後ぐらいから、街金まで来るようになり、怖がる彼女を支える形で私と菜美は半同棲のような状態になりました。

吉村の一件以降、菜美は知らない男に対して強い警戒感を示すようになってもいたので、二人きりの時には驚異的な自制心を働かせる必要がありました。
た。

私が菜美の家に通い始めてから1週間ぐらいした頃。
ふと菜美が小さな声で囁きました。

菜美「ごめんね。私が変なトラブルに巻き込まれるような女じゃなかったら…あなたも、もう少し楽しかったんだろうね」

空元気に笑って見せる菜美が無性に可愛く見えました。
私が彼女を思う以上に、菜美は私を思ってくれていたようです。
彼女の小さい手が私の腕を、ぎゅっと抱きしめてきました。

本当はこの件が全部片付いた後、私から菜美に告るつもりでした。
しかし私は、その計画を繰り上げて、その日に菜美に告って、その日に菜美を抱きました。

私としては、菜美を傷つけないために我慢してたつもりでしたが、私が菜美に迫らないことが逆に菜美を傷つけいたようです。
女性って、難しいですね。

行為が終わって、私がすぐに服を着ようとしたら菜美に止められました。

菜美「もう少し、このままこうしてよう?」

何も着ていない菜美は、何も着ていない私に抱きついてきました。

私「ちょっとだけだぞ。襲撃に備えて服は着ておかなきゃだから」
菜美「もういいよ今日は。今日だったら、このまま死んじゃってもいいや」
私「何でだよ?今日が私たちのスタートの日なんだぞ。スタート直後にゲームオーバーって、ださくない?」
菜美「ああ、そっか。今日が始まりの日なんだ。」
私「そう。今日がミッション・コンプリートじゃない。今日が始まりだ」
菜美「うん。そだね。これからよろしくね」

そう言いながら菜美は私にキスをしてきて、二回戦が始まりました。

もちろん、幸せな時間は長くは続きません。
朝早く、街金が押し掛けてきました。
警察にも相談はしましたが、民事不介入とのことで取り合ってくれません。
ですから、街金とのやり取りは私が対応します。

街金「山田さん、あなた吉村君の金使っていい思いしたんでしょ?いい思いしたんだったら、その分のお金は払わないと。それが世の中ってもんだよ。世の中なめてると、怪我じゃすまねえよ(ここだけドスの効いた怒鳴り声)」
私「山田が吉村と付き合った事実はありません」
街金「でも、債務整理の相談したとき乗ってきたんでしょ?まるで無関係の女が、どうしてそんな相談の場に来るの?そんなやついねえだろ?」
私「あれは、大学進学の借金と勘違いしたからです」
街金「吉村君も、山田さんが払うべきだって言ってるよ。一度は、山田さんの涙に騙されて自分が払うって言ったんだけどね。やっぱり、山田さん。相当、吉村君のこと泣かせたんだろうね。最近になって、やっぱり山田さんと二人で払うって言い出したよ。まあ、自業自得だと思って、まずはこのドア開けてくれないかなあ」
私「そもそも二人は付き合ってませんし、ドアは開けることはできません。お帰りください」
街金「てめえに言ってんじゃねえんだよ(いきなり怒鳴り声)。私は山田さんに言ってんだよ。オイコラ。山田さん出せや」
私「山田の代わりに僕が伺います」
街金「てめえは日本語わかんねえのか?コラ(怒鳴り声)早く出せや。いい加減にせんかいコラ」

たぶん、玄関のドア蹴っ飛ばした大きい音が響きます。
街金が来ると、こういう冷や汗ものの会話が最低20分ぐらい。
長いときは2時間以上も続きます。
街金の追い込みはさすがにきつく、嵐が過ぎるのをただ耐えるだけなんて不可能でした。


何とか打開策を見つけなくてはなりませんでした。
もちろん、本来の借金の主である肝心の吉村は、まるで話になりません。
それどころか、会えば命の危険さえありえます。

とりあえず当初の計画通り、私は吉村の実家に行って親と交渉することにしました。
ゲットした吉村の実家の住所に着くと、ちょうど両親ともにいました。

しかし、その家に入って驚きました。

廊下の壁のあちこちが穴だらけ。壁をパンチをしたような跡がたくさんありました。

リビングに通されると、リビングの電気の傘も割れたままで交換されていません。
壁ももちろん穴だらけ。

そんな荒んだ環境の中で、吉村の両親に話を聞いてもらうことに。

私の要求は

・無関係の菜美に借金を払わせないでほしい。
・菜美が怖がっているので、もう吉村を近づけないようにしてほしい。
・吉村を一日も早く精神科に通わせてほしい。

というものでした。

借金について「吉村はもう成人しているので、親の関知するところではない」
菜美に近づかないようにという依頼に対しては「一応言ってみるが、最終的には本人が決めること。保証はできない」と、実の息子相手に素っ気ない態度。
しかし、一番最後の「精神科に通わせてほしい」というお願いが禁句だったようです。

母親が突然キレました。

「ふざけんじゃねえよ。うちの子は精神病か?はあ?てめえが精神病だろうが?」

まるで急にスイッチが入ったかのように下品な口調で怒鳴り散らし始めました。

母親は叫ぶだけでは飽き足らず、リビングの壁などを蹴りまくり、私の顔に湯のみを投げつけてきました。

「君、もう今日は帰りなさい」
呆然とする私に、父親は静かな声で助け舟を出してくれました。
簡単に一礼して玄関に向かうと、母親は私に塩を投げつけ、そのままブツブツ独り言を言いながら部屋の奥に消えていきました。

父親は玄関の外まで私を見送ってくれ「すまなかった」と最後に一言、深く頭を下げて謝ってくれました。

帰る道すがら、私は絶望で心が真っ暗になりました。
唯一の希望だった吉村両親もおかしな人で、まるで話になりません。

「もう交渉相手がいないじゃないか」

この頃になると、私も菜美もさすがに精神的に限界に近かったです。

特に菜美は酷く、街金が来たとき家にいたりすると過呼吸になったことも…。
私も菜美も、夜中に悲鳴を上げて飛び起きることが増えました。


そんな感じの状態が続き、仕方なく私は、父に全てを話して助力を要請しました。

父「なんだ。最近、家にいないと思ったら、そんなことしてたのか?まあ、いい勉強だ」

切迫してる私とは対照的に、話を聞いた父親の態度はのん気なものでした。
父は、のん気な口調とは裏腹にしっかりした対処をしてくれました。
父の経営する会社の顧問弁護士を私に紹介してくれたのです。弁護士に相談してからは、話が早かった。

街金の取り立ては、相談してから3日後にはピタリと止まりました。
弁護士は、菜美の債務不存在確認と債務を片代わりする気がない旨、これ以上取り立てるなら恐喝で告訴する用意がある旨など、書き記した手紙を弁護士名義の内容証明郵便で送付。
たったこれだけで、あれほどしつこかった街金は全く現れなくなりました。

あまりに簡単に片付きすぎたので、私は父が私に隠れて、裏で人に言えないようなことをしたんじゃないか と疑ったぐらいです。
その話をすると、やはりのん気そうに笑いながら「会社経営っていうのは色々あるんだよ」と話すだけでした。

街金の取り立てがピタリと止んだことを電話で弁護士に伝え、お礼を言いました。
その電話口で
「吉村和夫のストーカーの件は、来週ぐらいから着手します」言ってくれました。

しかし、弁護士の方の手続開始を待たずして事件が起こります。

その日の夕方、私と菜美が菜美の家の近くのスーパーで買い物をして帰る途中 突然、目の前に吉村が現れました。

突然、私たちの前に立ちふさがった吉村は、私を無言のまま睨み続けたかと思うと、今度は大声で叫び始めました。

吉村「お前が菜美を騙したんだ!」

吉村はバックから包丁を取り出します。その目は完全に尋常ではありませんでした。
情けない話ですが、私はビビッて声も出ません。

「ちょっと落ち着いて。話をしよう?ね?」

吉村に話しかけたのは、意外にも私にしがみ付いて震えてる菜美でした。

吉村「菜美。私のこと覚えてるか?私だよ、私」
菜美「あ、うん。吉村君だよね。憶えてるよ」
吉村「ありがとう。うれしいよ。やっぱりお前は、俺を見捨てられないんだな」
菜美「見捨てるとか、見捨てないとか、そんな話した憶えないよ」

吉村はそれを聞くとしばらく号泣しました。

吉村「菜美。お前はその男に騙されてるんだよ。今、助けてやるからな」
菜美「ちょっと待ってね。二人で話そうか」

そう言うと菜美は私の耳元に口を近づけて小声で「逃げて。お願い。私なら大丈夫だから」と言います。

私「出来るわけないだろ」
菜美「お願い。二人無事にすむのはこれしかないの。私は大丈夫。今度は、私があなたを守るから。」
私「……じゃあ私は、2mほど後ろに下がる。いいか。吉村との、この距離を保て。この距離なら、万が一にも対処できる。」
菜美「分かった」

私は少し後ろに下がりました。驚くほど冷静な菜美の言葉を聞いて、体の震えが止まります。
今、自分が何をしなければならないかが、はっきり分かりました。


「私があなたを守るから」

彼女のその言葉を聞いて刃物の前に飛び出す決心が固まりました。
菜美と吉村が話している最中、騒ぎを見に来た40代ぐらいの男性と目が合いました。

私は声を出さずに「けいさつ」と口だけを動かしました。
見物人のその中年男性は、分かってくれたようで、うなずいて渦中の場所から小走りに離れて行き電話をかけてくれたようです。

その間も吉村は妄想を話し続けます。

「私たちは結ばれるんだよ」
「お前は私を酷い男だと思ってると思うけど、それは違う。 おまえはこの男に騙されてるんだよ」
「こいつが、あることないこと吹き込んでるだけだから」
「結婚しよう。将来は生活保護もらって、お前を幸せにするよ」

まるで聞くに耐えない話を延々と続けました。

菜美は適当に話を合わせて、吉村の会話に付き合います。

しばらくして、8人ぐらいの警官が到着。
パトカーから降りると、警官たちは手際よく吉村を包囲しました。

「刃物を捨てなさい」

警官の一人が穏やかで、しかし厳しい声で告げます。

吉村は、オロオロと周りを見回しながら、近づこうとする警官に順に刃物を向けます。

菜美「吉村君、まずは包丁地面に置こうか。吉村君、何か悪いことした?もし、しちゃってたらもうダメだけど、してないなら捕まらないよ」

菜美は元気よく明るい声で語り続けます。

菜美「吉村君、死にたくないでしょ。早く置かないと、鉄砲で撃たれちゃうよ」

吉村は促されるまま、笑顔で包丁を捨てたました。
不気味な、人間とは思えない笑顔で…。

吉村が包丁を捨てると、警官が襲い掛かって吉村は地面に組み伏されました。
ようやく危機を脱した私と菜美は、泣きながら抱き合って喜びました。

その後、吉村の父親が謝罪に来ました。
私の両親は、二度と私や私の家に彼を近づかせないようにと、それだけを固く約束させた。
母親は、一度も謝罪には来ていません。
また、吉村本人は予想通り、精神鑑定の結果、無罪になりました。

私たちができることは損害賠償が請求できるだけ…。
ただ、その民事の席で吉村の父親と会ったときに吉村の入院先と主治医を聞きました。

私は予約を取って、その主治医に面会してきました。
理由は、吉村もなりたくてああなったんじゃないと思ったからです。
吉村の治療の助けになればと思ったから。

主治医は一通り私の話を聞いてくれ「貴重な情報ありがとうございます。治療の参考になります」と言いました。

吉村の病名については教えてくれませんでしたが、原因の一つに吉村の母親のあの時の態度をすぐに思い出しました。
結局、吉村も被害者の一人なのかもしれません。

事件解決後、菜美との同棲は終了しました。もちろん交際は継続中ですが、結婚前の男女が一緒に住むことに対して、うちの母親が難色を示したからです。

「お母さんは古いタイプだからな」

父親はやはりのん気に笑うだけでした。

しかし、母の態度以前に、みんなに祝福されるような付き合いをして、みんなに祝福される結婚をしようというのが、私と菜美の出した結論でした。