もう20年以上も前の話です。
その頃は、まだ街のあちこちに電話ボックスがあった時代です。

ある3連休の前の金曜日。私は大学の仲間としたたかに飲みました。
深夜1時前、仕上げに屋台のラーメン食べて流れ解散。

その時は珍しく、明日は特に予定も無いから酔い覚ましに歩いて帰ろうって思いつきまして。

終電は過ぎてたけどタクシー乗るのは簡単です。でもそれだと二日酔いが酷いような気がしてんですね。

携帯を持ってなかったから電話ボックスで母親に「歩いて帰る」と電話しようと思った。
その頃は幹線道路のバス停には大抵電話ボックスがあったんですね。

母親に電話しようと、最初のバス停で電話ボックスに入りました。
ふと鼻孔に微かな香水の匂い…。

よく見ると受話器が電話機の上に置いたままになっています。
受話器に耳を当てると既に通話は切れてて無機質な電子音だけが聞こえてきました。

酔っ払いが置き忘れたんだろうと思って受話器をフックに戻します。
ジャラジャラと音がして返却口に10円玉が6枚戻ってきました。
これはラッキー。10円玉2枚で母親に電話をかけ、残りの40円をポケットに入れて再び歩き出します。

ふと気になって、次のバス停でも電話ボックスを覗いてみました。

…やっぱり受話器が電話機の上に置いてあります。
そして香水の匂い。受話器の向こうは電子音、受話器をフックに戻すと今度は10円玉が5枚。

次の電話ボックスでも、その次の電話ボックスでも、同じでした。
電話機の上の受話器。電子音と戻ってくる10円玉。数えると既に19枚目。

その次の電話ボックスが見えた時、歩き去る人影が見えた気がしました。

むせるような香水の匂い。そこでも5枚の10円玉、合計24枚。
そして、その次の電話ボックス…今度は電話ボックスから出て行く人影がハッキリ見えました。

真っ赤なワンピースを着た女性です。その横顔は微笑んでいるように見えました。
私は女性が遠ざかるのを待って電話ボックスに入りました。

受話器を耳に当てます。すると今度は叫ぶような声が…。

「なあ、お前K子だろ?」
「もう、こんなこと止めろよ。止めてくれよ。」
「俺たち、寝られなくて参ってるんだ。」
「一度、ちゃんと話しよう、な?」

私は思わず電話を切りました。

ジャラジャラと戻ってくる10円玉…。

「何故勝手に切るの?邪魔しないでよ。」

突然の声に振り向くと、赤いワンピースの女が立っていました。

闇の中に浮かぶ綺麗な白い顔がニコニコ笑って私を見詰めています。

「ねぇ、邪魔、しないでよ。」

あまりに現実離れした綺麗な顔は、怖くて怖くてとても生身の人間には見えません。

私は電話ボックスを飛び出して全力で走りました。
家が見えた所でポケットの中の10円玉をみんな取り出して捨てました。
背中から、いつあの女に声をかけられるか、本当に気が気ではありませんでした。

それから数日、着替えても風呂に入っても香水の匂いは消えませんでした。

あの女が人間だったのか、そうでなかったのか、今も分かりません。
深夜、幹線道路を彷徨いながら、「あれ」は一体どれだけの無言電話をかけて歩いていたのでしょう。
何枚の10円玉を持ち歩いていたのでしょう。

私にとっては洒落にならない怖い経験でした。 もちろんそれからは飲んだ後に歩いて帰るのは止めました。